ざら紙の裏面

140字じゃ足りなかった

写しの悲哀

all324桜付きまんばちゃんで回すこと60回、ついに!

 

ソハヤさんがいらっしゃいましたー!  いらっしゃい!  待ってたよ!

 

写しということで、私の初期刀こと、誇れる拗らせ写し刀まんばちゃんとの関係性も気になるところ。何が何でも手に入れたい……と思っていました。神様はいたんだ。

 

ということで、新回想「写しの悲哀」を見てきました。言いたいことが山ほどあるのですが、Twitterに流すには長いし、そもそもネタバレはよろしくないので、ここに書きます。

ネタバレ注意です🙇

 

 

 

 

 

 

 ではいきます。

 

コピーと写し

冒頭より、まんばちゃんにとって「コピー」と「写し」は全くの別物なんだなと。

Google翻訳で「写し」を英訳すると「copy」となります。つまり「コピー」と「写し」は本来同義のはずなのですが、まんばちゃんはきっぱり「俺はコピーなんかじゃない」と言い切っている。

Wikipediaで調べてみると、コピーは「模倣された作品」という意味。そして、写しは「職人の手によって模倣された作品」という意味です。まんばちゃんが意識したのは、おそらくこの違いなのではないでしょうか?

この場合の職人は刀工、すなわちまんばちゃんにとっては堀川国広(not脇差)です。

まんばちゃんの「自分は国広の随一の傑作」だという誇りが、透けて見える台詞だと思います。

 

ポジティブ系写し刀とは

そんでこれです。

ソハヤさんの「写しから始まってもいいじゃねえか」この台詞から考えて、ソハヤさんにとって「写しであること」自体はマイナスであるように考えられます。

ポジティブ系写し刀とは言いますが、この考え方はソハヤさんとまんばちゃんに共通しているようです。

ここでソハヤさんの刀帳台詞を見ると、ひとりの主について墓に入るのと、主を替えて長く使われ続けるのとどちらが幸せなのだろうか……という趣旨の部分があります。(ソハヤさんは意識していないでしょうが、主を替えて使われ続けたのはまんばちゃんですね)

結局、ソハヤさんは家康の墓に安置され、その後霊刀として祀られることで、その存在をより確かで誇り高いものにしました。

台詞を聞いていると、彼は写しであるという自らの出自はともかくとして、その刃生には誇りを持っているようです。対して、まんばちゃんはこれまで自分の生き様については触れていません。ひたすら「写し」と「傑作」という自分自身の間で葛藤しています。まるで自分の出自だけしか見えていないようです。

 

次はあの名台詞について。

 

 

「お前だけの物語を作りな」

スマートフォンの中のソハヤさんに向かって思わず頭を下げました。ありがとうございますソハヤさん。本当にありがとう。これからもまんばちゃんをよろしくお願いします。

この胸がじーんと温かくなる感覚はなんでしょうね?  脳内でごくせんのBGMが流れ出しました。あれ?  私がプレイしていたのは汗と涙(あながち間違ってもない)の青春ゲームだった……?

 

はい。

 

先程の項で述べたように、ソハヤさんは「生き様」に、まんばちゃんは「生まれ」に誇りを持っているようです。むしろまんばちゃんは、その刃生ゆえに、生まれに固執しがちなのでは……とか考え出すときりがないので今回は割愛。

「生きた証が物語よ」……ソハヤさんがまんばちゃんの刃生を知っているとは思えないので、多分自分の考えを言っただけなのでしょう。それからの「お前だけの物語を作りな」

 

つまり、「お前だけの生きた証を作りな」と。

 

刀には真作、写し、なかには贋作と、それぞれの生まれがあります。でもそれが全てじゃない。それぞれの刀にはそれぞれの物語が、その刀が生きた証がある。

そして、それはこれからも作ることができる。

物言わぬ刀だったとき、彼らは良くも悪くも主から離れられませんでした。しかし本丸に顕現されて、肉体と心を得た今は、自分で生きた証を作れます。

未来は自分次第。

ソハヤさんは、それが言いたかったのではないでしょうか。

 

この言葉を聞いたまんばちゃんは息を飲んで沈黙し、そこで回想は終了するので、まんばちゃんの気持ちを測ることはできません。

ただ、何か彼にも感じるところはあったのではないかな。

 

あったならといいな、そう思います。