写しの悲哀
all324桜付きまんばちゃんで回すこと60回、ついに!
ソハヤさんがいらっしゃいましたー! いらっしゃい! 待ってたよ!
写しということで、私の初期刀こと、誇れる拗らせ写し刀まんばちゃんとの関係性も気になるところ。何が何でも手に入れたい……と思っていました。神様はいたんだ。
ということで、新回想「写しの悲哀」を見てきました。言いたいことが山ほどあるのですが、Twitterに流すには長いし、そもそもネタバレはよろしくないので、ここに書きます。
ネタバレ注意です🙇
ではいきます。
コピーと写し
冒頭より、まんばちゃんにとって「コピー」と「写し」は全くの別物なんだなと。
Google翻訳で「写し」を英訳すると「copy」となります。つまり「コピー」と「写し」は本来同義のはずなのですが、まんばちゃんはきっぱり「俺はコピーなんかじゃない」と言い切っている。
Wikipediaで調べてみると、コピーは「模倣された作品」という意味。そして、写しは「職人の手によって模倣された作品」という意味です。まんばちゃんが意識したのは、おそらくこの違いなのではないでしょうか?
この場合の職人は刀工、すなわちまんばちゃんにとっては堀川国広(not脇差)です。
まんばちゃんの「自分は国広の随一の傑作」だという誇りが、透けて見える台詞だと思います。
ポジティブ系写し刀とは
そんでこれです。
ソハヤさんの「写しから始まってもいいじゃねえか」この台詞から考えて、ソハヤさんにとって「写しであること」自体はマイナスであるように考えられます。
ポジティブ系写し刀とは言いますが、この考え方はソハヤさんとまんばちゃんに共通しているようです。
ここでソハヤさんの刀帳台詞を見ると、ひとりの主について墓に入るのと、主を替えて長く使われ続けるのとどちらが幸せなのだろうか……という趣旨の部分があります。(ソハヤさんは意識していないでしょうが、主を替えて使われ続けたのはまんばちゃんですね)
結局、ソハヤさんは家康の墓に安置され、その後霊刀として祀られることで、その存在をより確かで誇り高いものにしました。
台詞を聞いていると、彼は写しであるという自らの出自はともかくとして、その刃生には誇りを持っているようです。対して、まんばちゃんはこれまで自分の生き様については触れていません。ひたすら「写し」と「傑作」という自分自身の間で葛藤しています。まるで自分の出自だけしか見えていないようです。
次はあの名台詞について。
「お前だけの物語を作りな」
スマートフォンの中のソハヤさんに向かって思わず頭を下げました。ありがとうございますソハヤさん。本当にありがとう。これからもまんばちゃんをよろしくお願いします。
この胸がじーんと温かくなる感覚はなんでしょうね? 脳内でごくせんのBGMが流れ出しました。あれ? 私がプレイしていたのは汗と涙(あながち間違ってもない)の青春ゲームだった……?
はい。
先程の項で述べたように、ソハヤさんは「生き様」に、まんばちゃんは「生まれ」に誇りを持っているようです。むしろまんばちゃんは、その刃生ゆえに、生まれに固執しがちなのでは……とか考え出すときりがないので今回は割愛。
「生きた証が物語よ」……ソハヤさんがまんばちゃんの刃生を知っているとは思えないので、多分自分の考えを言っただけなのでしょう。それからの「お前だけの物語を作りな」
つまり、「お前だけの生きた証を作りな」と。
刀には真作、写し、なかには贋作と、それぞれの生まれがあります。でもそれが全てじゃない。それぞれの刀にはそれぞれの物語が、その刀が生きた証がある。
そして、それはこれからも作ることができる。
物言わぬ刀だったとき、彼らは良くも悪くも主から離れられませんでした。しかし本丸に顕現されて、肉体と心を得た今は、自分で生きた証を作れます。
未来は自分次第。
ソハヤさんは、それが言いたかったのではないでしょうか。
この言葉を聞いたまんばちゃんは息を飲んで沈黙し、そこで回想は終了するので、まんばちゃんの気持ちを測ることはできません。
ただ、何か彼にも感じるところはあったのではないかな。
あったならといいな、そう思います。